NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム「落ちこぼれ」がボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

初めて公開放送に行く

 NHK大阪放送局の1階にある「BKプラザ」というイベントスペースで公開放送があるので行ってみようと思ったのは2013年の年末、12月21日のことだった。地下鉄谷町線谷町四丁目駅から徒歩数分だった。100人くらいしか入れないが、入場自由で入場料も入場券も要らない。妻と出かけた。

少し遅れて着くと、生放送中ということで物々しい雰囲気だった。入り口に警備の人がいた。会場から投句を受け付けるというので考えてきた句をスタッフの人に書いて渡したが、私は見事にボツだった。ところがオッチーランドというペンネームを使った妻の句が入選して読み上げられ、インタビューを受けるという事態になった。お題は「鳴る」で、「ベルが鳴り居留守を使い気配消す」というような句だった。先生が「気配消すというのが上手ですね」と褒めてくれた。先生に「初めての投句ですか」と聞かれて妻は「はい」と答えていたが、私の真似をして投句した前科があった。初めてでもないのに思わずそう答えてしまう様子にあきれた。これにはさらに続きがあった。投句用紙に妻が書き添えていた「夫は今年、大賞を2回取って、自分をぼやき川柳の天才だと言っています」というコメントを佐藤アナが読み上げてしまったのだ。その瞬間、中学校時代に生徒会長をしていた「出たがり」の私の血が騒いだ。うっかり手を挙げてしまった。「あっ、お隣にご主人がいらっしゃる!」と佐藤アナが中継する。ここで山田朋生(ともき)アナにマイクを向けられた私は思わず立ち上がって「兵庫県の落ちこぼれと申します」と言ってしまった。すると佐藤アナが「ああ、よくお便りをくださる落ちこぼれさん」と呼応してくれた。私が「今年、13回入選しました」と言うと、会場にどよめきが起こった。調子に乗った私はここで口が滑る。「毎週十数句投句しています。多すぎるのでもうちょっと控えたいと思います」。すると佐藤アナがすかさず「控えてくださいね」と突っ込んで失笑が起きた。興奮冷めやらぬ中、席に着いた。しばらくするとさきほどマイクを出していた山田アナが近づいてきて「発言していただきましたので」と妻と私にNHKのネックストラップを手渡してくれた。ボツなのに賞品をもらえた!と喜んでいると、後ろの席の見知らぬ女の人が声をひそめて「どんなん、もろたんですか?」と聞いてきた。「首にさげるストラップです」と答えながら見せた。このへんがいかにも大阪のおばちゃんらしい。ラジオ出演は生まれて初めてだった。

生放送終了後、写真のように大西先生、海原さおりさんと私、妻の計4人で記念写真を撮らせてもらった。

私が「大西先生! お世話になっています」と話しかけると、大西先生は一瞬、ぎくっと驚いた様子だった。「きょうは残念でしたね。入選が奥様の方で」とおっしゃった。私は調子に乗って「はい。またよろしくお願いします」と言ってしまった。まるで袖の下を渡すから便宜を図ってほしいと言いたげな発言になってしまった。すごく後悔した。それから2カ月くらいボツが続いた。

閑話休題。この日は夜勤の日だった。生放送終了後、東梅田で妻と別れて何食わぬ顔をして職場に向かった。するとS君がさっと近づいてきた。「さっきラジオに出ていましたね。聴いていました!」と言った。「しまった! 見つかった」と思った。

初めての入選

 私が初めてぼやき川柳に投句したのは2013年3月のことだった。ふと思い立って、番組のホームページから送った。「招く」というお題に、「ドアホンに映ればみんなカバになる」(兵庫県・落ちこぼれ)。ドアホンを押した来客に室内のモニターから「はい」と返事をすると、ドアホンのカメラに顔を近づけて「〇〇です」と言う。そのときのアップした顔が室内のモニターではどうもカバに似ているなあと思ったからだ。放送はスマホボイスレコーダーを用意して、何度もラジオを録音しながら聞いた。割合早い時間帯に入選を果たしたので、録音ストップ、録音再開の手間は少なくて済んだ。「兵庫県の落ちこぼれさん」と佐藤誠アナウンサーが言った瞬間、家じゅうの空気が張り詰めたような感覚に襲われた。句が読まれた瞬間は天にも昇るような気持ちになった。ただし初めての投句でいきなり入選を果たすのは決して珍しいことではない。「似たような類似句なら常連さんよりも新しい聴取者を入選させてあげよう」という番組側の意図もあるだろう。大西泰世先生は「昆虫の接写をするイメージでしょうか」というような趣旨のことを言ってくださった。欣喜雀躍して家族にも録音を聞かせた。二十代の娘は「なんで読まれると分かっていたの?」と聞いた。私は「そりゃあ、お父さんの実力をもってすれば!」と胸を張った。ところが、これがぼやき川柳で読まれるという「麻薬」、ボツ続きとの付き合いの始まりになるとは知る由もなかった。

 

優勝カップを自分でつくる

 何度か大賞をいただくようになった頃、誕生日がめぐってきた。妻が「今度の誕生日祝いのプレゼントは何がいい?」と聞いてきた。僕は「ぼやき川柳の大賞句を吊るすことができる優勝カップがほしいなあ」と答えた。妻はインターネットで賞牌、賞杯、メダル、徽章、賞状などを扱う店を探して、優勝カップに白地のリボンも数本付けるよう発注してくれた。

 「祝 ぼやき川柳大賞 落ちこぼれ殿 NHKラジオ第一 かんさい土曜ほっとタイム」と銘板に刻印されている。まるでNHKが贈ってくれたかのようなカップだが、わが家の「自作自演」、妻のユーモアである。このカップを誕生日にプレゼントされたいきさつを手紙に書いて写真2枚とともにNHK大阪放送局に送ったところ、リクエスト曲のあとの後半の始まりのところで文面を紹介してくれた。写真を見て大西先生も「粋な奥さんですね」と言ってくださった。西川かの子さんは「大賞句だけを吊るしてくださいね」と言ってくれた。

「ぼやき川柳」の歴史

 ここでぼやき川柳の歴史について触れておく。現在、NHKラジオ第一「関西発ラジオ深夜便」(第1・2・3金曜日午後11時台)で放送されているぼやき川柳はもともと土曜日午後1時5分から始まる「かんさい土曜ほっとタイム」という番組の一コーナーだった。1995年に始まった「関西発土曜サロン」という番組が前身だ。そこに「ぼやきアワー」というコーナーがあった。聴取者からのぼやきのお便りを紹介する形で始まった。だが盛り上がりに欠けたという。スタッフの間でこのコーナーはもうやめようかという話になった。そして96年から名前を変え、「お笑いぼやきアワー」と装いも新たに再スタートしたが残念ながらこれもリスナーの反響が芳しくなかった。転機が訪れたのは97年度。「ぼやきを川柳にして応募してください」という方針に転換した。これが見事に当たった。やがて投句が殺到してさばけないほどになっていった。生放送中にファクスでも投句を受け付けたため、「さきほど自分が詠んだ句がいきなり電波に乘る」という達成感が味わえることになり、リスナーの心はわしづかみにされた。

お題は川柳作家の大西泰世さんが前の週に出す。二題で、だいたいは名詞と動詞か形容詞であることが多い。膨大な量集まった句の選句は大西先生が一人でやり、佐藤アナとその週の女性キャスターが交互に読んでいくスタイルが確立された。音楽を挟んで五十分の間に約100句を読み上げる。キャスターも粒ぞろいだ。千堂あきほさん、奥野史子さん、海原さおりさん、西川かの子さんの4人が週替わりで務めた。番組名物は佐藤アナがコーナーの冒頭で「ぼやき川柳アワワワーー」ともだえるように高らかに宣言する一種の「お触れ」だ。公開放送の会場でも同じようにやるので、「待ってました」と皆が合点して一斉に「失笑」が起きるという構図になっている。続いてアシスタントの女性が以下のような決めぜりふを言う。「武器も持たない、金もない、権力も持たない。庶民の唯一の抵抗手段はぼやき川柳、ぼや川(せん)!」

ここから佐藤アナとキャスターの女性が交互に「○○県の□□さん」と柳号(ペンネーム)を読んだあと、作品を二度読み上げ始める。ボケとツッコミ、先生のユーモアが織りなされて、三人による完璧な鼎談となる。3時25分ごろになると、一呼吸置くため、聴取者からのリクエスト曲をかける。これもお題に沿った曲を選ぶ。お題がもし「ハンカチ」なら、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」をリクエストするといった具合だ。川柳に自信のない人はここが狙い目だ。というのもきょうのお題で川柳が読まれるのは難しいと悟れば、リクエスト曲で自分の名前を読み上げてもらう方がはるかに簡単。ぶっちゃけ競争率が低いからだ。

川柳が読まれると全国津々浦々に電波で流れる。土曜午後3時すぎのまったりした時間を手に汗握りながら聞く者あり、ぼんやりとうたた寝しながら聞く者あり。私の父母のように、愛媛県の片田舎で、田んぼから家に戻り、大阪にいる跡取り息子の消息を知る手立てとしてラジオに耳を澄ませる者もいる。

 番組の最終盤、「それではぼやき川柳大賞の発表です」と佐藤アナが宣言し、ファンファーレが鳴り響く。本日の優秀作として大西先生が選んだ「ぼやき川柳大賞」が都道府県名、ペンネーム(柳号)、作品の順で読み上げられる。作品は復唱する。6句前後だ。選ばれた人には記念品が贈られる。当初はNHKのマスコットキャラクター「どーもくん」や「ななみちゃん」のハンカチタオルだったが、のちにボールペンとクリアファイル、どーもくんのメモ帳に変わった。エンディング近くには大西先生から来週のお題二題が出され、聞き間違えないように佐藤アナが言葉の解説をする。

言うまでもないことだが、このコーナーを屋台骨で支えているのは佐藤誠アナウンサーと川柳作家、大西泰世先生のお人柄だ。二人の掛け合い漫才と、週替わりで担当する女性アシスタントの絶妙な突っ込み(チャチャ)で成り立っていると言っても過言ではない。そのうち誰がボケで誰がツッコミか分からなくなるような関西人の絶妙なしゃべくりには舌を巻く。佐藤アナは放送は標準語で行わなければならないという掟をみずから破った、まさに画期的なアナウンサーだ。関西弁アナの先駆けだった。大西先生は新進気鋭の川柳作家という金看板をなげうって番組に登場した。節度の利いた二人の絶妙な掛け合いはまさに芸術の域。たとえば窓際族が会社で出世した人のことを悪く言う、あるいは自分を卑下する川柳を作って応募してきたとする。それを読み上げたあと、佐藤アナは「まあ会社で偉いと言うてもねえ」と一言。そこで止め、その先は決して言わない。踏み外さない。大西先生がすごいのは、間違っても人の句を悪く言わないことだ。「ぼやき」という人間の本性・不平不満を太っ腹で鷹揚に受け止めてくださる。佐藤アナと年齢が近いことでちょうど良い加減を醸し出すのだろう。

 全国には番組の熱烈なファンがいて、毎週放送を速記で記録してブログに「速報」として上げる元タイピスト新潟県のはなさんを始め、達筆の毛筆の文字で半紙に句を書いて郵送で応募してくる新潟県の神林威(たけし)さん、録音して放送された全部の句を紙に書き起こし、通院の暇を見つけては読み返す人、都道府県別入賞者数ランキングや個人別入賞数ランキングを作成して番組に報告した人、点字で応募してきた人もいる。

「ラジオ深夜便」でもついに大賞

 「ぼやき川柳」が第1~3金曜日午後11時台の「ラジオ深夜便」に移ったのは2019年4月だった。それまでは約100句が読み上げられて、6句前後が大賞に選ばれていたが、放送時間が短くなり、お題は二つから一つに減り、50句弱しか読み上げられなくなった。大賞も3句だけになった。がぜん競争率が上がって、読まれること自体が難しくなった。放送が深夜になったことで聴取者にも変化が起きた。「かんさい土曜ほっとタイム」で常連だった人が何人か離脱していった。代わりに新規参入を果たしたリスナーも多い。良くなったことは、よもや大賞を獲ると、3カ月後に月刊誌「ラジオ深夜便」に大西先生の寸評とともに載るようになったこと、聴き逃しサービス「らじる☆らじる」で放送翌日から1週間聴くことができるようになったことだ。

 当然、私の入選回数も激減した。3カ月に1回入選すれば良い方で、ボツの山が巨大になっていった。そう、番組移転後はもう大賞どころではなくなった。大賞は夢の夢になったのだ。

 やっと光明が見えたのは1年半後、コロナ禍真っ只中の2020年6月12日だった。ようやく通算18回目の大賞をいただいた。お題は「ドラマ」。私の句は「名作の分かっちゃいるがここで泣く」。

大西先生は放送中のコメントで「これ、ホントですよね。何回か見てええっと思うけど、やっぱりそのぐっと来るところは変わらないというね……」とおっしゃり、中村宏アナは「人情ものの落語、何回聴いてもおんなじところでほろっと来るんです」と応じ、大西先生が「やっぱりおんなじところで可笑しいしね」と締めた。

私は小津安二郎監督の世界的傑作「東京物語」の一場面を思い出してこの句を作った。戦争未亡人となった次男の嫁(原節子)に義父である笠智衆が「貴女ももう再婚してもらっていいのだよ」と言う。そこで原節子が「いいえ、私、ずるいんです」と答える名場面だ。私は何度も「東京物語」を見てきたが、この場面になると必ずボロボロ大粒の涙を流す。ストーリーはもう重々分かっているのにそんな自分に酔っているのである。この涙は一種のカタルシスであり、私のナルシシズムであろう。

3カ月後、大西先生もこの句が掲載された「ラジオ深夜便」10月号の寸評でこう書いてくださった。「あれって不思議ですよね、何度も見て分かっているはずなのに泣けてくる。そんな自分自身にも感動したりして」

とうとう喉から手が出るほど欲しかった「タイトル」を手に入れた。ラジオで音として全国に流れると、その一瞬だけ空気が緊張しているような快感が得られるものだが、文字として残るというのもこれまた格別のものがある。自分が趣味としてプリンターで印字して紙に残すことと、高名な先生に選んでもらって全国の書店で売られる雑誌に載ることはまったく似て非なるものだ。私はNHKサービスセンターから送っていただいた掲載誌で飽き足らず、同じ掲載誌を本屋に行って自腹でもう1冊買った。スーパーのレジ近くで売られている様子を携帯のカメラで隠し撮りすることまでした。これが私にとっての「集大成」だった。

ボツつづきは人生そのもの

 「土曜ほっと」では毎週100句も読まれたんだから、それこそ猫も杓子も読まれたんじゃないか。あるいは自分の才能をもってすれば当然、読まれただろうと思う人は多いと思う。そういう人がもし我々と同じ挑戦をしたとすると、天狗になっているその鼻を早晩へし折られること必定だ。私がそうだった。2千通を超える応募があるということはここですでに倍率が20倍ということになる。2015年2月末、公開放送に行ってみて痛感した。ものすごい人の波がNHK大阪ホールに押し寄せていた。「こんなにたくさんの人と戦わなければいけないのか。こりゃあ勝てっこない。大変な競争率だ」と腰を抜かしたものだ。

ただしビギナーズラックというのはある。たとえば「毎週ずっとこの番組を聴いています。82歳にして初めての投句です」と書き添えた作品であれば、読まれることが多い。これはうなずける。「ここでリスナーをつなぎとめたい」という番組制作側の深謀遠慮が働くのはごく自然なことだろう。ところがその先が続かないのである。次の週となると「先週、初めての投句で読まれました。録音を家族に聞かせ、親戚からも祝福の電話がありました。ありがとうございました」というはがきがまた読まれることはあっても、肝心の川柳の作品でまた読まれるかどうかは別問題となる。筆者は大賞のあとの次の週にボツになることが多くて大いに悩んだ。同じ人ばかり選んでいると「一部の人に肩入れしていないか? 本当に公平な選句がされているのか?」と突っ込まれるので選者の目が一段と厳しくなるのかもしれないなどと邪推したりもした。しかし大西先生はそんなやわな人物ではない。一つの信念を貫いていらっしゃる。すなわち「面白い句しか選ばない」である。ボツになるということは自分の作品が面白くないからだ。自分に実力がないからである。私自身、放送終了後、しばらく頭を冷やしてからボツになった句を読み返してみた。なるほど我ながら赤面するほどの有象無象の駄句ばかりであった。汗顔の至り、汗だくだくといったところか。

 最近の投句の例で見てみよう。お題「集う」に対して私が番組ホームページからNHK大阪放送局へ送った句は次の通りだ。

「あの人が来ないと聞いて集ったが」

「マドンナに集うジイジは腰が伸び」

「リモートで集って下はまだパジャマ」

「目化粧で済ませた同士お茶をせず」

 ………どうだろう。どこか面白いだろうか。意味が通じるだろうか。これらはすべて「ボツ」の憂き目に遭った。まさに撃沈。あとで思えば当然の成り行きだった。

 話を「かんさい土曜ほっとタイム」時代に戻せば、私も5週連続で読まれないようなことがたびたびあった。さすがにへこんだ。同病相憐れむで、全国には「ブランク長い」さんとか「ボツの山」さんとか自虐的なペンネームを付けておられる方もいる。そもそも挑戦をしないとボツという結果もないのであって、向こうずねに傷があるということはすなわち生きている証し、勲章なのだ。

元巨人の江川卓投手の著作に「たかが江川されど江川」というのがある。それになぞらえていえば「たかが川柳されど川柳」だ。毎日そのことばかり考えていたのにボツとは……、この一週間の時間と労力を返してほしいと思ったこともある。しかし考えようによっては「ボツ」は人生そのものだ。負けてこそ人生、敗者にこそ真実がある。2020年に亡くなったプロ野球野村克也さんの言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」はそのへんの真理を衝いている。また阿佐田哲也の名前で「麻雀放浪記」などを著したギャンブラー兼作家の色川武大(たけひろ)さんはその著書「うらおもて人生録」にこうも書いている。「八勝七敗なら上々。九勝六敗なら理想。一生が終わってみると、五分五分というところが、多いんじゃないかな」

どうしてもかなわない天才川柳作家

 「土曜ほっと」のぼやき川柳には知る人ぞ知る常連さんがいた。全国から2千通もの応募があって、100人ほどが読まれる中に、ほぼ毎週のように読まれ、一カ月に一回くらいは当然のように大賞をかっさらっていく猛者。私はこの人をひそかに「天才」と呼び、私淑していた。「穿ち」「軽み」「おかしみ」。川柳の3要件を備えて余りある完璧な句を繰り出してくる人物だった。もちろんお会いしたことはない。熊本県の甲斐良一(かい・りょういち)さんがその人である。論より証拠。甲斐さんの作品をインターネット上で拾うとこんな句が見つかる。
お題「ゆっくり」で「ゆっくりと雑な仕事をする社員」
お題「曲がる」で「俺のハグ イナバウアーでよける妻」
お題「意外」で「あの人に言った内緒が漏れてない」
お題「危ない」で「ちょいワルと今では医者に言われてる」
お題「ネズミ」で「記憶力かじるネズミがいるらしい」
お題「答える」で「才能が恥ずかしがって出てこない」
お題「地図」で「この地図でよくぞ着いたと驚かれ」
 私などは甲斐さんの足元にも及ばない。全国レベルの最上位に位置する雲の上の人とお見受けした。間違いなく私と気が合う人物だろう。
ほかにもすごい人がいる。まず兵庫県の山下雅子さんだ。女性にしか作れない句というのがあり、逆立ちしても私にはあの句は作れない。千葉県のハイブリッヂさん、東京都のカリントイーストウッドさん、三重県の伊藤石英さんらも私などには越えられない高い山のような存在だ。彼らは短編小説を五七五に凝縮したような非の打ちどころのない句を作る。