NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム「落ちこぼれ」がボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

「土曜ほっと」が終わることを惜しむ読売新聞の記事

「かんさい土曜ほっとタイム」が終わり、ぼやき川柳は「ラジオ深夜便」に移ることになった。読売新聞にこんな記事が載った。

ほんわか関西弁 聴き納め NHK「異色」ラジオ番組 16日終了

2019/03/14  大阪読売新聞 朝刊  

 ◆23年間「元気もらった」
 標準語が原則とされるNHKで、関西弁で全国に生放送してきた異色のラジオ番組「かんさい土曜ほっとタイム」が16日、23年の歴史に幕を下ろす。阪神大震災の翌年から約770回の放送の進行役を務めた佐藤誠さん(70)は、「自然体で関西弁を話すことで、アットホームな番組になった。ええ仕事させてもらいました」と話す。
 ■「復興伝える」
 番組は、ラジオ第1で土曜午後1時5分から約3時間、大阪放送局大阪市中央区)から生放送。大阪府吹田市出身でNHKアナウンサーだった佐藤さんをはじめ、レギュラー出演者やゲストの芸能人らは関西出身者が中心で、地元グルメ、映画、文化などを全国に発信してきた。
 月1回放送の前身番組「関西発土曜サロン」が始まったのが1996年4月。前年の95年1月に阪神大震災が発生し、「復興の様子を伝える」という目的もあった。この年にNHKの国内番組基準で「慎重に用いる」とされた方言の使用が「必要に応じて」と緩和されたことにも後押しされた。
 佐藤さんが関西弁にこだわる原点も、阪神大震災だった。当時、高速道路の倒壊現場などから中継。95年4月から1年間担当した関連番組で被災地を巡り、「関西弁で語りかけるほうが、被災者は安心して本音を話してくれた」という。
 当初は、関西以外のリスナーから「関西弁のために受信料を払ってない」などの批判もあった。看板コーナー「ぼやき川柳」が97年に始まると、全国から投句が殺到。2000通を超える週もあり、2004年には現在の番組名で毎週の放送になった。佐藤さんは08年の定年退職後も、番組の進行役を続けた。
 ■惜しむ声続々
 2月下旬の放送で、番組終了を伝えると、リスナーから「寝耳に水」「立ち直れない」など惜しむ声が相次ぎ、1週間で200件を超したという。改編理由について、大阪放送局は「新たなジャンルの番組をお届けすることにした」としており、4月以降はプロ野球中継が放送される。
 佐藤さんは「夫を亡くした女性や母親の介護をする人から『元気をもらった』『久しぶりに笑った』などとお便りが届き、こちらも励みになった。ここまでできたのはリスナーの皆さんのおかげです」と語った。
 写真=「お便りにはほとんど目を通し、リスナーの思いや意見を誰よりも把握してきた」と話す佐藤誠さん(大阪市中央区のNHK大阪放送局で)=浜井孝幸撮影