NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム「落ちこぼれ」がボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

佐藤誠アナウンサーのプロフィール

 あうんの呼吸で大西先生と軽妙なトークを繰り広げた佐藤誠アナウンサーについても紹介したい。佐藤アナは1948年大阪府吹田市の出身。関西学院大を出て71年にNHKに入局した。2005年から嘱託職専門委員として大阪局に在籍し、07年度で60歳定年になったが、専属パーソナリティーとして番組に出演を続けた。北海道や山梨県の勤務はあるが、東京勤務はないという。著書に、「勉強しまっせ」とか「いてまう」とかの大阪弁をキーワードにしたエッセー集「大阪弁スピリッツ」(2000年、葉文館出版)がある。

番組終了を控えた2019年3月14日付大阪読売新聞朝刊に次のような興味深い記事が載っている。

ほんわか関西弁 聴き納め NHK「異色」ラジオ番組 16日終了

◆23年間「元気もらった」
 標準語が原則とされるNHKで、関西弁で全国に生放送してきた異色のラジオ番組「かんさい土曜ほっとタイム」が16日、23年の歴史に幕を下ろす。阪神大震災の翌年から約770回の放送の進行役を務めた佐藤誠さん(70)は、「自然体で関西弁を話すことで、アットホームな番組になった。ええ仕事させてもらいました」と話す。
 ■「復興伝える」
 番組は、ラジオ第1で土曜午後1時5分から約3時間、大阪放送局大阪市中央区)から生放送。大阪府吹田市出身でNHKアナウンサーだった佐藤さんをはじめ、レギュラー出演者やゲストの芸能人らは関西出身者が中心で、地元グルメ、映画、文化などを全国に発信してきた。
 月1回放送の前身番組「関西発土曜サロン」が始まったのが1996年4月。前年の95年1月に阪神大震災が発生し、「復興の様子を伝える」という目的もあった。この年にNHKの国内番組基準で「慎重に用いる」とされた方言の使用が「必要に応じて」と緩和されたことにも後押しされた。
 佐藤さんが関西弁にこだわる原点も、阪神大震災だった。当時、高速道路の倒壊現場などから中継。95年4月から1年間担当した関連番組で被災地を巡り、「関西弁で語りかけるほうが、被災者は安心して本音を話してくれた」という。
 当初は、関西以外のリスナーから「関西弁のために受信料を払ってない」などの批判もあった。看板コーナー「ぼやき川柳」が97年に始まると、全国から投句が殺到。2000通を超える週もあり、2004年には現在の番組名で毎週の放送になった。佐藤さんは08年の定年退職後も、番組の進行役を続けた。
 ■惜しむ声続々
 2月下旬の放送で、番組終了を伝えると、リスナーから「寝耳に水」「立ち直れない」など惜しむ声が相次ぎ、1週間で200件を超したという。改編理由について、大阪放送局は「新たなジャンルの番組をお届けすることにした」としており、4月以降はプロ野球中継が放送される。
 佐藤さんは「夫を亡くした女性や母親の介護をする人から『元気をもらった』『久しぶりに笑った』などとお便りが届き、こちらも励みになった。ここまでできたのはリスナーの皆さんのおかげです」と語った。
 写真説明には「お便りにはほとんど目を通し、リスナーの思いや意見を誰よりも把握してきた」と話す佐藤誠さん(大阪市中央区のNHK大阪放送局で)=浜井孝幸撮影

また朝日新聞1997年3月5日夕刊文化面にはこう紹介されている。

○「標準語」の規制緩和
 NHKは、全国一律の「標準語」を強力に発信してきた張本人だが、最近では方言を見直す方向にある。その国内番組基準には二年前まで、「放送は原則標準語。方言の使用は慎重に」とあった。それが「原則共通語。必要により方言を用いる」と変更されている。
 東京出身のアナウンサーはいま極めて少ない。東京の山の手言葉を基盤に人工的に作られた、絶対規範としての「標準語」ではなく、許容範囲を持たせた「共通語」しか話せなくなった現実もある。しかし、話し言葉の温かさを放送に取り込む規制緩和が進んでいるのは間違いない。
 昨年四月から毎月、原則として最終土曜日に、全国向けに放送されている大阪弁のラジオ番組「関西発土曜サロン」も、その現れの一つ。
 大阪出身の佐藤誠アナウンサー(四八)は原稿を読まずに、自分自身の言葉で語りかける。「情報の中身が最優先のニュースは共通語が適当でも、気持ちを伝えるなら大阪弁。しゃべり言葉としての成熟度は比較にならんもん」(心から 風土背負い、現実語る 等身大で表現(「新・方言」考:3)