NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム落ちこぼれがボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

「ぼやき川柳」史上最高の句

  二〇一九年三月十六日を最後に「かんさい土曜ほっとタイム」が終わり、「ぼやき川柳アワー」は「ラジオ深夜便」に移ることになった。当日の放送で佐藤アナは「番組をやめないでほしい」という全国からの手紙やはがき、ファクス、メールが計七四七通もあったと紹介した。そのうちの1通が私だった。
最終回の放送ではレギュラー出演者が順番に「私の好きな川柳」を紹介していった。佐藤アナは「いいお通夜でしたコオロギ鳴いていた」「弱音など吐かぬじじいになってやる」「転ぶこと覚えたらもう大丈夫」「金持ちは指を丸めて死んでいた」「八十になってもピーマンだけは嫌」「四捨五入すれば幸せ外は雪」。大西先生は「いい人といい仕事してうまい酒」を選んでおられた。
4人の女性キャスターも「私の好きな川柳」を披露した。2005年から務めたという西川かの子さんは実感句として「びっくりやあんたいつからここに居た」、二十数年務めたという海原さおりさんは「女房は平家の流れくんでいた」(お題「流れ」でお風呂場を想像したとのこと)、「いつからか男のように笑う妻」「妻の手をひさびさ握り静電気」。キャスターを十二年間やり、五十歳を迎えるという千堂あきほさんは「ときめきを返せと叫ぶ同窓会」「何もかも卒業した顔がこれ」をチョイスした。みんなお気に入りの句を読み上げながら感極まる様子が聞き取れた。
そして奥野史子さんが取り上げたのが「久しぶり紅をひいたら晴れました」と、次の句だった。番組史上最高の句だと私が思う句だ。今となっては詠み人知らずである。
「何事もなかったように米を研ぐ」
(2018年7月21日放送の大賞句 お題「消す」)
この句を選んだ理由を奥野さんはこう説明した。
「私も結婚をして妻になり母になり日々いろんなことが起こるじゃないですか。だけれども家に帰ったら必ず米を研ぐという作業があって、そこにはこう自分の感情を押し殺しながらやる瞬間というのがやっぱりあるんですよね。それがもうすごい自分に重なって……。ちょっと涙出てくるね。ほんまに。なのでなんでしょうね。『自分だけじゃないわ』みたいに思える句だった」
佐藤アナは「深いですね。『日常こそが哲学だ』みたいなね」と相槌を打った。大西先生も「お米という普遍的なものだからいいんですよね」とおっしゃり、佐藤アナが「無洗米ではあかんね」と混ぜ返し、大西先生はすかさず言い添える。「たとえばこれが『肉を焼く』ではあかんのですね」。さすが先生、分析が鋭い。
奥野さんの涙声に、ラジオを聞く側も、もらい泣きしないわけにはいかなかった。
生きているといろいろなことが起きる。老若男女を問わない。今日、学校で友だちに無視されて泣きながら帰ってきた子もいるだろう。今日、病院で精密検査の結果が悪いと言われ、入院を勧められた人もいるだろう。今日、親が交通事故に遭ったと連絡が入ってひざがガクガク震えた人もいるだろう。左遷人事を告げられて酒を浴びるように飲んで帰ってきた人だっているかもしれない……。けれど、今日、どんな出来事があったにしても人は明日という日に備えて米櫃(こめびつ)から米を取り出して量り、黙々と何度も米を研ぐのである。不安、安堵、恐怖、悲しみ、喜び、時には怒りが交錯するひとときだ。明日、自分はもうこの世にいないかもしれない。それでもルーティンとして米だけは研がなければならない。自分を励まし、奮い立たせてしっかり生きなければいけない。「生きる」とはそういうことなのである。魂の叫びのような市井の名句だ。読めば読むほど泣けてくる。飽きることがない。
「何事もなかったように米を研ぐ」