NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム落ちこぼれがボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

Tさんの友達の妹さん

  二〇二〇年二月十四日のことだった。世間は中国の武漢というところで新型コロナ肺炎がはやり始めていることに気づき始めていた。しかしまだマスクをする、手指のアルコール消毒をするなどの対策は呼びかけられていなかった。もちろん三密などという言葉もまだ知らなかった。職場の同僚のTさんが57歳で天に召され、この日、神戸の阪神住吉駅近くのメモリアルホールでしめやかに葬儀が執り行われた。悪性リンパ腫とのことだった。Tさんはたばこと酒が好きで生涯独身だった。京都大学の薬学部を出て大阪大大学院で美術史を学んだ変わり種。耳が少し不自由だった。私とは1993年ごろからの知り合いで、一緒の職場で働き、家が近かったこともあって夜中に帰りのハイヤーが一緒になることもしばしばだった。

 いくぶん認知症の進んだ90代のお父さんが会葬者に挨拶をされ、いよいよ出棺となった。私は東京から見えた職場の同僚らとひそひそと故人をしのぶ会話をしていた。そこへ突然、背後から40代と思われる女性が声を掛けてきた。「越智さんですか? 落ちこぼれさんですか?」

 目が点になるとはこのことだった。厳粛な死のセレモニーの最中にぼやき川柳のペンネームで呼ぶ女性がいるのだから。 

 女性は「岡山県から来たYです」と名乗った。話を聞いてみると「亡くなったTさんが私の姉と京都で同じアパートに住んでいた」とのことだった。そして姉さんがTさんに美術のことを教えたことが、Tさんがその方面に目を向け、大学院進むきっかけになったとのことだった。のちにTさんが倉敷市までお姉さんを訪ねてくるようになり、妹であるそのYさんと懇意になったという説明を受けた。

 そうこうするうちに出棺だった。Tさんのご遺体が目の前を通過していき、黒塗りの車に載せられたあと、運転手さんがクラクションを鳴らしてみんなで合掌して見送った。私は涙涙涙……の場面で、ぼやき川柳を知っているという女性と不謹慎にも話し込むこととなってしまった。

 Yさんがなぜ私を知っているのかというと、TさんにそのYさんが「ぼやき川柳を聞いている」と話したことがあったらしい。そのときTさんが「落ちこぼれさんというのがおるやろ。その人、うちの職場のおっさんやで」と答えたというのだ。以来、そのYさんは「落ちこぼれさんが今週も読まれましたね」などとTさんに携帯メールを寄こすようになっていったのだそうだ。

 葬儀の席でなぜ僕が落ちこぼれだと分かったのだろうか? あとで考えてみるとやはり公開放送でインタビューされてマイクに向かってしゃべった私の声に彼女は聞き覚えがあったのではなかったろうか。

 小雨の降る日だった。Yさんは倉敷に帰るというので近くのJR駅まで私の車で送ることにした。見ず知らずの人に車で送ってもらうことになって、Yさんは戸惑っていた。私が助手席に招こうとすると、運転席と助手席の間にある黒い箱を指さして「何かある!」といぶかしがる様子をみせた。「これですか? 運転用の眼鏡のケースです」と言って私は眼鏡を見せた。あとで思い出すと、何かのサスペンスドラマの見過ぎではなかったかと思う。車内では「これも何かの縁でしょう」と楽しく故人の思い出話をした。JR駅で別れ、出勤時間が迫っていたので私は帰宅してすぐ喪服を脱ぎ、会社へ向かった。