NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム落ちこぼれがボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

NHK大阪ホールで公開録音

   2015年2月28日、「ぼやき川柳のつどい」が開かれた。数年に一度の全国大会のような催しだ。舞台はNHK大阪ホール。月末の火曜日夜、「うたコン」の生放送をする場所だ。その日は生放送ではなかった。1週間後の3月7日に放送する音源を公開収録する日だった。

勝負はまずチケットの入手から。何カ月か前、番組の最後に今度、公開収録がありますと案内が始まった頃から往復はがきを出し始めた。定員に達した場合は抽選になるということだったので、家族3人の名前でそれぞれに応募した。同じ郵便ポストからいっぺんに出すと全部はずれるような気がしたので、自宅近く、会社近く、大阪・梅田周辺など異なったポストから日を改めて3通出した。職場には収録日に年次有給休暇を申請して退路を断った。2月17日、帰宅してみると3通の返信はがきが届いていた。妻の1通が当たって「2名分の入場整理券に引き換えできます」と書いてあった。私と娘の2通は抽選の結果、はずれましたと書いてあった。当選はがきに当日のお題は「弱味」「包む」とあった。弱味と包む? これはどう作るべきだろう? その日から格闘の日が始まった。

 包むというお題は難しい。ぼやき川柳なのでぼやこうとするとき、幸せや希望に満ちた明るいお題だと作るのが難しい。たとえばヒマワリとか新入生とかよりも悔しいとか転ぶとか失敗談につながるお題の方が作りやすい。弱味はネガティブなイメージがあるので作りやすいが、凡庸に陥りやすいお題でもあった。私は連日、寝食を忘れて弱味、包むについて考えた。これまでの人生で弱味を握られたことはあったか、何かを包んだことはあったか、自分に当てはめて実体験を探した。そして携帯電話のメモ帳に、巧拙を問わず、思いつくままの川柳を記録していってはため息をつくのだった。「これでは入選できない。全国レベルには程遠い……」。NHK大阪ホールでは舞台上に入選句を映し出す準備が必要とのことで、いつもの放送のように全国から当日も句を受け付けるというようなことはなく、木曜日の正午までに投句を済ませてくださいとのことだった。ただし例外があった。会場に来られる方は当日、投句箱を設けるのでそこで参加してほしいとのことだった。私は木曜までに数句をNHKのホームページからインターネットで投句して、もしそれがボツなら当日の投句箱で勝負しようと両にらみの作戦を立てた。

私は小学5年生のときから毎日、日記を書いてきた。2月22日の日記にこう書き残している。「弱味、包むの2題はともに作りにくい。NHKホールが大笑いになるような作品を作りたい。とか考えていたらきのうにつづいて閃輝暗点が出てすっかりしょげ込んでしまった」。閃輝暗点とは典型的な片頭痛の前駆症状だ。片頭痛が起きる30分ほど前に、視野の中心に光のギザギザが見え始めて物が見えなくなり、ギザギザが視野の外に広がっていってやがて普通に見えるようになる症状のことだ。イチョウ葉エキス錠を飲むと現れる回数が減る。

2月24日の日記にもこうある。「ぼやき川柳の締め切りが木曜日なので必死で考える日々。上出来の作品が3つ4つできた。あとはバラバラに投句して当日までにもっといい作品を考えねばならない」

25日もあがいている。「ぼやき川柳は十句以上を出した。明日が締め切り。何とか2千人のホールで読まれたい」。このときNHKホールが2千人も入れると勘違いしていたようだ。

正午締め切りの26日木曜日もまだ諦めていない。「ぼやき川柳を締め切りまでに少し出した」と日記にある。あまりにたくさん投句しすぎてスタッフに迷惑を掛けている様子が見て取れる。これはあとで気づくことになるのだが、優れた句というのはたった1句でも必ず入選する。百戦錬磨、数え切れないほどの場数を踏んでこられた大西先生はそれを見逃さない。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式の投句は、それまでの番組でも戒めていたが、実際にしてはいけないことだった。練りに練って言葉を削ぎ落としてなおもっと適切な表現を探した末に句を完成させる。そして決められた数の句(大西先生がおっしゃるにはい題につき2句まで)を応募して、堂々と撃沈すべきである。当時の私にはそれができなかった。

さていよいよ28日、NHK大阪ホールでの公開収録の日がやってきた。私は前夜から興奮して寝付けなかった。妻は気管支炎で咳があり、遅れて行くというので、私は一人で東梅田へ出て谷町線で会場へ向かうことになる。結果的にこのとき一人であったことが運命を変えることになる。私は梅田へ向かう阪急線の中で、会場の投句箱に書いて入れる弱味1句、包む1句を考えていた。包むで思い出すことがあった。前年の9月末、御嶽山が噴火した日に姪が横浜のみなとみらいで実に盛大な結婚式を挙げた。愛媛にいる私の母から「あんたは叔父にあたるんじゃけん、ご祝儀ははずまないといかんよ」とプレッシャーをかけられていた。大阪弁で言うところの「いちびってしもて(張り切り過ぎてしまって)」破格のご祝儀を出したことを思い出した。あの日の披露宴ではケーキバイキングもあり、遅れてきて新札のご祝儀を用意せず、親である自分が新札に変えてやった息子が、ケーキだけはここぞとばかり幾つも食べていたことを思い出した。阪急電車に座ってつらつらと考えたのが披露宴の句だった。

先に一人でNHK大阪ホールに着いた私は当選はがきを入場券2枚に換えてもらった。入場券とともに投句用紙と鉛筆が渡された。幾重にも人が並び、すでに長蛇の列だった。年配者ばかりだ。「こんなにたくさんの人が見に来るんだ。この数の人と戦っているんだ。勝てるわけがない」と恐れをなした。近くの立ち食いそば屋さんで肉うどんを食べた。路上に平たい電源盤の覆いのようなところがあった。物を書くにはちょうどいいと考えて、そこで投句用紙に先ほど阪急電車で考えた句を書いた。弱味と包むで1句ずつ書いてくださいとあった。放送で読まれることもありますとあった。住所は兵庫県ペンネームは落ちこぼれと書いた。きれいな字で書いた方が有利だろうかと考えると手が震えた。早めに会場へ戻り、投句箱に祈るような気持ちで投句用紙を投函した。

今日の出演者は佐藤誠アナウンサー、大西泰世先生、アシスタントの千堂あきほさん、漫才のテツ&トモさんだった。

午後1時55分開演にマスクをした妻がギリギリ間に合った。席は1階C12列8番。舞台からはずいぶん後ろの方だった。収録にあたって拍手の仕方などの前説があった。妻がトイレに行っている間に佐藤アナウンサーが出てきて、「きょうの公開収録では会場で投句してもらいました。会場から選ばれた句が読まれます。全国からの応募が2千通。会場の方が人数が少ないですから読まれる確率がはるかに高いですからね」と言うと笑いが起きた。「それでは放送で読まれる人を今から発表します。どこに座っておられるかを知りたいので、手を挙げてください。収録中はスタッフがマイクを持ってお席の方へ「走っていきますので私の質問に簡潔に答えてください」。緊張が走った。「僕の句は選ばれただろうか……」。数人のあと、佐藤アナの口から「兵庫県の落ちこぼれさん」と飛び出した。私は待ってましたとばかり私は席を立ち上がり、会場に向かって両手を振ってしまった。どういう心理かというと「ラジオでおなじみの落ちこぼれです。私があの落ちこぼれです」というような……。まさにアホである。そういえば私は中学時代に生徒会長をしていた。

これでラジオ出演が決まった。弱味と包むで1句ずつ投句したが、いったいどちらの句が選ばれたのだろう。もし弱味の句の方ならこう答えよう、もし包むの句の方ならこうコメントしようと作戦を練って心づもりをした。

赤と青のジャージーを着てギターを弾きながら「なんでだろう」を連呼するテツandトモの漫才や大西先生の添削コーナーがあり、3時5分から「ぼやき川柳アワー」が始まった。佐藤アナが身もだえするような声で「皆さんよろしいですか? いきますよ。 「ぼやき川柳アワワワーー」と宣言するとそれだけで会場は笑いに包まれた。みんなラジオでよく聞いているので、待ってました! その名調子! あの声だあ!と思うのだ。

木曜日の正午までに全国から集まった句の中から50句が選ばれて、佐藤アナと千堂さんが読み上げるタイミングに合わせて舞台上の大画面に句と都道府県名と名前が大映しになった。そのたびに笑いが起きた。

時刻は3時30分になった。佐藤アナが「ここからは会場からの投句ですよ」と言った。千人を超える超満員の会場。固唾をのんで見守る。一人の女性の名前が読み上げられた。ステージから見て左手だ。次は最前列のご老人。同じようにスクリーンに句が映し出された。私は気が気でなかった。心臓がバクバクしてきた。「さて次の句は……兵庫県の落ちこぼれさん。どちらにいらっしゃいますか?」と佐藤アナ。私はパッと手を挙げてまた起立してしまった。句を選ばれた人で立ち上がったりした人はいない。「あっ、右手の奥で手を振っていらっしゃいます」。ラジオなのでマイクが届けられるまでの時間を稼ぐ発言もある。テツ&トモのテツさんの方がマイクを持って私の方へ客席を駆け上がってきた。佐藤アナが続ける。「いきますよ。『包み過ぎ食べて元取る披露宴』」もう一度繰り返して「『包み過ぎ食べて元取る披露宴』。このあたりで会場にどっと笑いが起こるのが分かった。マイクが近づいてくると妻や周りの人はさっと身をよじって道を開け、騒動に巻き込まれないようにした。私をとらえたテレビ用カメラの映像も舞台のスクリーンに大映しになった。「どういうことでこの句を作りましたか」と佐藤アナ。私の声はうわずる。「去年の10月ごろに姪の披露宴がありまして、夫婦で包んでいったのですが、ちょっと多く包み過ぎまして。こりゃあ取り返さなあかんと思って一生懸命食べました」。ここで会場が大爆笑になった。漫才でウケるというのはこういう感覚なんだと肌で感じた瞬間だった。佐藤アナは急におかしなことを聞いた。「ところで落ちこぼれさん、いったいいくら包みはったんですか?」。私はこれが全国に流れる放送であることをとっさに思って、「お金のことを人さまに言うべきではない」と考えた。仕方がないので、ラジオなのに急に押し黙って手話というか手の指でご祝儀の額を示すことにした。佐藤アナは沈黙が続くことを避けるために、私の指の数を実況中継するはめになった。私が両手10本の指を開いてみせると「10万」と佐藤アナ。私は首を振る。今度は片手5本の指を開く。「5万」と佐藤アナ。「50万?」とも言い足す。会場がどよめいた。私は大きく首を振る。改めて両手10本の指を開いて見せてさらに片手5本の指を開いたところ、「15万」と佐藤アナ。ここでようやく私は大きく首を縦に振った。佐藤アナは「皆さん、ご夫婦で15万円のご祝儀をだされたそうですよ」と言った。すかさず千堂あきほさんが「そりゃあ包み過ぎやわ」と言ってくれて会場に安堵の笑いが起きた。佐藤アナが大西先生に聞く。どうですか? お祝いの額が多すぎてちょっと取り返したくなる気持ちを巧く詠んでくれましたね」。大西先生は「」と応じて会場にまた笑いが起きた。私は「ありがとうございました」と言ってマイクをテツさんに返した。左前に座っておられたご婦人が僕の方を振り返って「川柳の会かなんかに入ってはるの?」と聞いた。僕は「冠句の会に入っています」と言おうとしたが、冠句の説明に手間取るなあと思って、「はい。入っています」とだけ答えた。

3時50分が近づいてきた。「いよいよぼやき川柳大賞の発表です」と佐藤アナが高らかに宣言する。厳かにファンファーレが鳴る。私は「ダメでもがっかりすまい」と自分に言い聞かせていた。すると「ここからは会場から選ばれた句です」とことわったうえで、「兵庫県の落ちこぼれさん」と言うではないか。「包み過ぎ……」会場に再び笑いが起きた。「そうそう、あの人のあの句だ」という笑いだった。番組の終わりが近づいてきた。最後に大賞句を獲った人に一言をいただきましょうということになって再び赤いジャージーのテツさんがマイクを持って階段を走りあがってきた。「15万円出して良かったですね」と問いかけてくれたのだが、私はもう舞い上がってしまっていて、その質問に答えることなく、こう言ってしまった。「こうやって大勢の人の前で自分の句を読み上げてもらいたかったんです。それがかなって……。もう今死んでもいいです」。すると会場が大爆笑になった。

「野球で言えばワールドシリーズのMVPに選ばれたような感じ。これ以上はない栄誉となった」とその日の日記にある。収録が終わると大賞句を取った人は舞台の前まで来てくださいと放送があって、女性スタッフから記念品を渡された。ちょうど佐藤アナがいらしたので私の方から話しかけた。「佐藤さん、いつも僕の句を読んでくれるのは佐藤さんです」。佐藤アナも「すごかったですねえ。良かったですね」と言ってくれた。私が「このホールはどのくらいの人が入るんですか?」と尋ねると「だいたい1200から1400人くらいです」「これくらい大きなところで読み上げられるのが夢だったんです。夢がかないました。一生の思い出になりました。ありがとうございました」。私は佐藤アナと固く握手をかわした。佐藤アナはいつものようにおしゃれな帽子をかぶっておられた。番組の最終盤に「ありがとうございました。それではお別れに」と帽子を脱いでみせ、ホールの笑いを独り占めしていたのが印象的だった。

帰宅して記念品を開いた。NHKのマスコットのタオルハンカチ2枚が入っていた。大賞になった句をリボンに書いて優勝カップにぶら下げて写真を撮った。通算42回目の入選、6回目の大賞受賞だった。盆と正月が一緒に来たような大騒ぎ。わが人生が最高に輝いた日、まさに我が世の春だった。

この日の収録の模様は1週間後の3月7日に放送された。私が「今死んでもいいです」と叫んで会場がドカンとウケたところで音が絞られていった。公開録音の再生を終えたスタジオで佐藤アナが「舞台と会場が一体になっていましたね」とコメントし、奥野さんが「自分の句が大賞に選ばれたら気持ちいいでしょうねえ」と言い添えてくれた。

その日は知り合いにメールで「ラジオに出ます」と知らせてあったので何人もが聞いてくれた。自分も録音をした。聞き逃したという人のために同僚のK君に録音データの圧縮をしてもらい、CDに焼いて、郵送で配ったり手渡ししたりした。あとで分かったのだが、私は一人で舞い上がっていたようだ。すっかり浮いてしまっていた。両親や親戚以外はみんなCDのプレゼントが迷惑そうだった。「何度も聞いて笑っています」という返事をしてくれる人は一人もいなかった。NHK大阪ホールの公開放送でぼやき川柳大賞を獲り、全国放送で肉声が流れるというすごさが分かっているのはおそらく自分だけだというのもよく分かった。