NHK「ぼやき川柳大賞」を獲る方法

兵庫県のペンネーム落ちこぼれがボツ続きの体験を赤裸々に綴ります。

懐かしの「ぼやき川柳アワー」

土曜日午後、大阪から全国に放送されていたNHKラジオ第1「ぼやき川柳アワー」を覚えていらっしゃるでしょうか。1時5分から始まる「かんさい土曜ほっとタイム」の超人気コーナーでした。お天気、映画評、人物インタビュー、音楽などを交えながら4時前まで続くトーク番組で、熱烈なファンにとりわけ支持されたのが3時5分からの「ぼやき川柳アワー」です。1997年から2019年3月まで23年間も続きました。知る人ぞ知る長寿番組です。生放送中も飛び入り参加OKで、「ぼやき」を基本としながら、花鳥風月を詠んで投句しても一向にかまわないコーナーでした。もし放送で読まれれば栄えある入選! 読まれなければ不名誉なボツ! 天国か地獄か――。この手に汗握るスリルに取り憑かれてしまった「にわか川柳作家」が全国にあまた居ました。ある者は毎週のように凱歌を上げ、美酒に酔いしれました。またある者は毎週のように挫折を味わい、人知れず歯嚙みしました。

司会はNHKの佐藤誠アナウンサー、レギュラー選者は川柳作家の大西泰世先生。そしてもう一人、週替わりで女性キャスターが加わりました。西川かの子さん、千堂あきほさん、奥野史子さん、海原さおりさん。それはいつでも絶妙な鼎談になっていました。

番組の最後には翌週に向けて二つのお題が出されます。だいたいは名詞と動詞か形容詞。たとえば「空」と「迷う」。そこから1週間、全国のリスナーは呻吟、苦吟を重ねたうえで、メール、ファクス、はがき、手紙などでNHK大阪放送局へと投句を試みます。生放送中にふと迷句を思いついてメールやファクスで送る人もいます。音楽2曲と三人のおしゃべりを挟みながら3時55分まで佐藤アナと女性キャスターが交互にひたすら約100句の川柳を読み上げるスタイルです。笑い合い、雑談をしながら大西先生のユーモラスな講評にフムフムと納得します。まさに談論風発。土曜午後のまったりした時間を過ごすにはもってこいの番組でした。

「毎週100句も入選?」と思われる読者がいるかもしれません。多寡をくくってはいけません。この入選がどっこい至難の業なのです。全国から寄せられるのは2千句余りと言われていましたから約20倍の狭き門でした。さらに番組の最後に、とりわけ秀逸であったと大西先生が認定する「ぼやき川柳大賞」にも選ばれるとなるとぐっと厳しい関門となります。ファンファーレのあとに5、6句が再度読み上げられるのですが、この栄誉に浴したとなれば約400倍の競争率に打ち勝ったということになるのでした。

ひとたび入選の味をしめると、それに取り憑かれ、それに執着し、それから容易には逃れられなくなります。まさに人間の業です。そういう意味で「ぼやき川柳」は一種の麻薬であったと言えます。

二十有余年の歴史にいったん幕を引き、2019年4月からは「関西発ラジオ深夜便」第1~3金曜日午後11時台にその舞台を移しました。お題は二つから一つになりました。第1・3週は大西先生と住田功一アナ、第2週は大西先生と中村宏アナが交互に入選句を読み上げるスタイルに変わり、その後はアナが毎週代わるようになって今も絶大な人気を誇っています。週1200~1300句の応募で40句が読まれるかどうかです。大賞句はたったの3句。「狭き門」はますます狭くなっています。

著者は「兵庫県の落ちこぼれ」というペンネームで2013年3月2日から毎週、この川柳に応募するようになりました。何げなく聞いていたこの番組に自分も投句しようと思い立ったのはその数週間前、一つの大賞句に感銘を受けたことがきっかけでした。たしか若い女性の作品だったと思います。何というお題だったかさえ忘れました。「少しだけ着飾って行く里帰り」というような句でした。「ちょっとだけ着飾って行く里帰り」だったかもしれません。この句について大西先生は概略、こう講評されました。「たまに帰省するときに親を心配させてはいけないから普段より少し上等な服を着ますよね。でもあんまり派手なものを着て帰ると、それはそれで都会でどんな生活をしているんだろうと親御さんも心配します。ですから子どもとしては少しだけ着飾って帰るんですよね」

聞き終えて私はちょっと涙ぐみました。随分長いこと故郷の愛媛県に帰っていません。「八十代になる両親は今日も田んぼに出て働いているだろうか。川柳とはすごい文芸だな。何度口に出してもそのたびに感動する句というのがあるものだ。自分も川柳をやってみたい!」。そのとき痛切に思ったのです。

 

それから11年、仕事の合間、川柳づくりに没頭しました。自分の句が選ばれて電波に乗れば、まるで世界を制覇したかのような、天にも昇る気持ちになります。逆にボツになれば急にシュンとしてなんだか湿っぽい週末に変わり、ヤケ酒の一つもあおりたくなるような気分になってしまいます。

2024年4月現在の成績を打ち明けますと、放送で読まれた句は158句、そのうち大賞をもらった句が18句です。裏を返せばそれ以外は全部ボツだったということになります。数えていませんが、これまでに数千句は作りました。何度辛酸を嘗め、死屍累々のボツの山を築き、切歯扼腕の日々を送ってきたことでしょう。放送中に地震が起き、そのニュースですっ飛んでしまったに違いない我が迷句?もありました。

読まれただけの入選句には何も出ませんが、大賞を取った場合にのみ、記念品と称して番組スタッフから賞品が届きます。「深夜便」になってからは3カ月後に出版される番組の月刊誌「ラジオ深夜便」にもその句と大西先生の寸評が載るようになりました。

筆者はまた、全国各地で年に1、2回行われる「公開放送」にも計4回足を運び、4回ともインビューを受けて放送されました。成績は3回入選して2回の大賞、1回のボツでした。1400人収容のNHK大阪ホールで大賞をいただき、感涙にむせんだことも今となっては一生の思い出です。コロナ禍でこの催しはできなくなっていますが、当時行われていた「公開放送」の風景を大賞句とともにリポートしたいと思います。入選句もそのエピソードとともに収録します。

 

そして「ぼやき川柳大賞」をいかにして獲るか、私なりに編み出した秘策があります。「釈迦に説法」になるかもしれませんが、僭越ながら全国の川柳ファンの皆さんにぜひ指南・伝授したいと思います。この秘策を使えば、サラリーマン川柳やスポーツ川柳、介護川柳、親子川柳といった賞金のかかった募集で大賞を獲ることも夢ではありません。

たかが川柳、されど川柳! ぼやき川柳(略して「ぼや川」)にまつわる体験談を基本に、「大賞」を獲る川柳の作り方について語っていきます。